昨日の宍道湖の様子です


きれいでしたねー

無風で波ひとつない静けさの中に

ゆっくり太陽が沈んでいきました


日の入りは

17:49・・・

ずいぶん陽も長くなってきましたねー

この時季にこんな宍道湖が見られるのは

本当に珍しいことです

幻想的でもありました

 

さて、このようなのどかな宍道湖の風景とは対照的に

このほとりに位置する松江市の中学校が

今・・・荒れているというのである

 

昨日の地元新聞の

しかも、2面、社説に該当する囲み記事である

 

生徒による暴力行為が激増して

1月中に4人の中学生が逮捕されたというのである

 

生徒同士や教師に対する暴力行為や

ガラスを割るなどの器物破損も多いという

 

この自然豊かな歴史の街

宍道湖のほとりに位置する水の都で

今子どもたちに何が起こっているのか

 

同じ世代の親として

無関心ではいられない

 

生徒同士のいざこざに仲裁に入った教師が

殴られてしまうというのだから

先生もお手上げだ

 

当面問題を沈静化させるには

対症療法も必要だろうが

問題は根深い

 

この松江市にあっても

子どもの環境はずいぶん変わってきていて

全国的な傾向となんら変わらない問題が

表面化してきている

 

離婚の増加・・・一人親世帯の増加

DV、虐待、ネグレクト

各家族化が進むことによる

子育て中の母親の孤立化

経済の悪化からくる生活困窮

 

これらと関連付けるには

専門的分析が必要ではあろうが

 

保護者の規範意識が低下している影響を

指摘している声もある

 

私もその親の一人として

今までにも

子どものスポーツ活動や

部活動を通して

意見を述べさせてもらったこともある

 

問題は単純なものではないと思うのだが

ひとつ私がいつも思うところがある

 

それは

現代社会において

子どもたちが経験(体験)する機会を大人

特に親が奪っていることを懸念する

 

今の子どもたちは

あらゆる面で経験不足

対人的にはコミュニケーション不足で

社会性に乏しいのだ

 

そして、もっと問題なのは

大人にとって都合のいい「よい子」で

そのまま成人して社会に出る

 

そして自立しない大人が増え

そしてそれが人の子の親となって

その子を育てることになる

 

そこに負の連鎖が生まれているようにも思う

 

今、思春期の段階でそれが現れるのは

むしろ健全であり

子どもたちの声無き叫びなのではないか

 

学校関係者、警察、児童相談所、行政職員、学識経験者など

あらゆる者が知恵を絞って取り組んでも

そこには限界がある

 

最後に守ってやれるのは・・・・親である

 

最近、地元の中学校に行く機会があった

ちょうど子どもたちが通学する時間帯だった

 

そこで私は思うのである

大方の想像はしていたが

これほどなのか・・・・

 

 

それは、子どもたちを自家用車で送迎する

親子の光景である

徐々にその台数は増えていき

渋滞するほどだ

 

確かにその日は道路にシャーベット上の積雪があり

場所によっては自転車通学は難儀なこともあるだろう

「かわいそうだから」「事故が心配だから」

 

それが親心であるのは私もよく解る

私とて心配していないわけではない

 

しかし、これが経験、体験なのである

 

私たちの時代は

病気や怪我でもないのに

親に送り迎えしてもらおうものなら

何か恥ずかしいという思いがあったものだ

 

それが今はどうだろう

「小島さん・・・時代が違いますよ・・・」

 

小さなことだが

こういうことの積み重ねが

経験であり

あらゆる気象状況においても

自らが危険を回避する力だったり

濡れないようにする手段を考えたり

そうするための準備をしたり・・・

 

わが家では3人の子どもたちを

ほとんど自力で通わせた

 

積雪があって自転車が無理なら

歩いて行かせたことも

帰りには雪が解けることも考えて

行きは自転車を押していくことも

 

上の娘は高校時代に

駅までの道のり・・・

「雨の中を女子高生が突っ走っていく」・・・と

同級生の親たちの話題になっていたらしいが

わが家では当たり前のことだ

 

現役の高校球児の息子は

雲南方面へ片道13キロの自転車通学を継続中だ

 

それは、毎日が心配だ

無事に帰ってくるとほっとする

 

それはどこの親とも同じだ

 

しかし、このことが必ず哨僉璽札鵐疲の糧になると信じている

 

それが本人の宝となる

 

それを親の安心

親の都合で奪ってはならないと

思っている

 

これは単に通学のことだけを取り上げたが

 

生まれたときからの関わりで

さまざまな場面が浮かんでくる

 

いろいろな場面に置き換えてみよう

 

一部の子どもたちが荒れる現象は

親の都合・・・大人の都合で「いい子ぶっている」子どもの

裏側ではないか

 

私も親として

もう一度子どもたちとの関わり方を

考えてみたい