ある方からこんな質問をいただきました

「磯釣りにハマッタきっかけは・・・」

「大切にし続けている道具は・・・」

というものです

 

普段は特に考えもしないようなことですが

あらためて考えてみるよいきっかけとなりました

 

ありがとうございます

 

同じようなテーマで

地元山陰の検索サイト「TM21」さんのコーナー

投稿させてもらったことがあるんです

 

またお時間があったら

こちらものぞいてみてやってください

 

ここでは「磯釣り」に限定して考えてみました

もともと魚とりや釣りが好きだった私が

成人して、帰郷して、行動範囲が広くなって

身近な海の釣りに興味を持つということは必然的なことだったと思います

 

そしてこの性格

負けず嫌い

やりだすととことんのめりこむ

 

中学、高校と野球に没頭していましたが

3年生の最後のシーズンが終わると

とにかく釣りでしたねー

 

試合に負けた翌日には

もう、釣り竿を担いで自転車こいでましたもんねー

 

まず、磯釣りの面白さに気がついたのは

中学3年生の冬でした

オヤジに頼んで

当時、大社の稲佐の浜で金波というところで

モエビを売っていたんですねー

 

これを買ってもらって

日御碕の追石鼻(オイセバナ)へ

 

特にオヤジが本格的に釣りをしていたわけではなかったので

こういった情報は

なんとなく自分で入手して

逆にオヤジを連れ出していたわけです

お金もなし、車の運転もできませんからねー

 

早朝まだ暗いうちから

磯には釣り人が場所取りでいっぱいです

そして、時合の夜明けを待ちます

そうです・・・良型が釣れるのは朝マズメ

 

うっすらとウキが見え始めると

スパッとウキが消しこまれて

竿が大きく曲がります

 

35センチ前後のグレが

入れ食いでしたねー

 

そして、周囲の大人に負けていませんでした

とにかく人よりも多く釣ることに夢中になったものです

 

このころ周囲の釣り人は

小型のバットウキ(寝ウキ)を使うのが主流でした

少し研究している人は

小型の玉ウキなどを使った二段ウキ仕掛けで

小さなアタリをとっていましたねー

 

わたしは、雑誌などで見つけた

円錐ウキを通販で取り寄せて使っていました

感度抜群でしたねー

 

そして、このころダイワが世界初のレバーブレーキ付きのスピニングリールを

開発したんですが

これの初代、2代目の製品をすでに使っていました

SS900LBという品番だったかなー

このころのレバーブレーキは

回転テーブルをレバーの先に付いたコルクのようなもので

摩擦によりブレーキをかけるような構造でした

 

そのことを思えば

現在のものは飛躍的に高精度になったものです

 

日本が世界に誇れる技術だと思います

 

釣りにかけては

オマセだったんでしょうねー

 

例のモエビ屋の金波などで

親子連れで来てよく釣るって話題にもなったほどでしたから

 

そして、今度は高校を卒業して学生時代ですかねー

運転免許を取って自分で自由に行動できることが拍車をかけました

 

この頃夢中になっていたのが

三点釣りです

 

ベテラン釣り師がやるのを見て

かっこいいなーと憧れの眼差しで見ていたものです

 

そしてこれを会得しようと夢中になりました

 

十六島の鼻へ歩いて通いました

ヒラマサやマダイ狙いです

 

休みになると

わざわざ片道約600キロを帰郷して

毎日でも磯に通いましたねー

 

このころまだグラスロッドでしたけども

バイトでためたお金ではじめて買ったカーボンロッドが

がま磯マークⅡの3号遠投とフカセ用に1号を手に入れました

 

これが私とがま磯との出会いでもありました

 

大学を卒業すると

すぐに帰郷

仕事もなく当分は釣り三昧

 

何気に誘われて行ったのが

チヌのノッコミ季に入った魚瀬

 

カブ島で初めて釣った45センチのチヌの引きが

あまりにも強く衝撃的で

今度はすぐにチヌ釣りにのめりこんでいきました

 

とにかく時化て渡船が休業する以外は

毎日通い詰めました

 

これは就職が決まってからも

数年は続きましたねー

 

4月中旬から半月間は

日の出と同時に渡してもらって

7時には迎えに来てもらって

 

あらかじめ着込んでおいた

ワイシャツとネクタイ姿に変身して車を走らせます

 

5月から6月いっぱいのマダイのノッコミ季に入ると

今度は仕事を終えて夕方から夜釣りの毎日

 

よく行ったのは

十六島の経島やマシマでした

夜中に一人でゴムボートを担いで

磯際や山道を歩いていると

よく警察さんに職務質問されたものです

 

このころは拉致事件とか密航者事件があったころでしたから

 

秋はヒラマサ、冬はグレ釣りと年中こんなことをしていましたねー

1日に釣行回数2回というのが年間に何度もあったわけですから

だんだん一緒に行ってくれる友達も減っていきました

 

これが20代前半です

 

そして衝撃的な出会いが・・・・

 

平成元年の秋だったでしょうか

ヒラマサフィーバーで沸く日御碕のともしまで

後の師匠となられる竹下名人と出会うわけです

 

ここから釣り人生ががらっと変わって行くのですねー

釣りトーナメントにものめりこんでいきます

 

このあたりは

過去に月刊山陰の釣りに連載していた

「G1フィッシング」でも取り上げていますので

暇があったらのぞいてみてください

タイトルは「私の釣り人生(前編)」

「私の釣り人生(後編)」

そのほかの号でも

釣りに対する考え方や取り組み方に触れているところがあります

 

30代はとにかくトーナメントでしたねー

全国大会へ出場したことで

私生活においてもいろいろな価値観が変わりました

 

そしてプライベート釣行では

隠岐島前の内海筋の開拓に燃えていました

これも面白かったです

 

さて、「大切にし続けている道具」ですが

「私の釣り人生」をお読みいただくと

それが師匠手作りの「竹下ウキ」ということがお分かりいただけると思います

 

そして、現在思い入れがあるのは

自分が開発した「G1タルカゴ」そして手作りしているドクロ

愛着がありますねー

 

いくら高価なものであっても

お金で買えるものはそんなに価値をおきません

お金で手に入らないものはかけがえがないものです

 

まさに手作り品は

この世にひとつしか存在しませんから

大切に使っています