高校野球にカリスマは必要ない

2010年03月23日

選抜高校野球

島根からは開星高校が中国覇者として2年連続出場

昨日、21世紀枠の和歌山、向陽高校と対戦した

 

私は移動中の車の中でテレビ観戦したが

残念ながら1-2で惜敗

 

相手投手の巧みな投球術に自慢の強力打線は鳴りを潜めた

それでも最終回に1点を返してなおも同点・逆転の場面をつくり意地をみせたが

中盤までの劣勢の流れを引き戻すことはかなわなかった

 

そして一夜明けた今朝

監督のインタビュー記事がスポーツ新聞のウラ表紙を飾っているのに驚いた

驚いたというよりもショックを受けた

 

末端ながら島根で高校野球に携わってきた者として

この前代未聞の出来事にショックを隠さずにはいられない

 

マスコミの報道でしか事の経緯や真相を知る由もないが

その内容が事実であれば

 

私は、高校野球という教育の現場として

何か狂気迫る怖さというか危機感を覚えた

主役である子どもたちの存在

レギュラーメンバーだけではなく

ベンチの控え選手や

スタンドで応援に回っている子どもたちの存在が

そこからはまったく感じ取れない

 

 

個々の問題ではない

取り上げるマスコミや

携わる学校や保護者、そして子どもたち

 

勝利至上主義・・・

プロセスに価値を置かない世界

 

いままでに同じような言動や態度があっても

勝てば・・・・それをカリスマと呼んで称賛し崇め称える

負ければ、いっせいに集中砲火を浴びせる

 

敗戦のショックから必死に立ち上がり

夏に気持ちを入れ替えようとしている選手たちは

いま、どのような気持ちでいるのだろう

 

そして、次のレギュラーを夢見て

地道にグランドで汗を流す控え部員たち

そして夢を抱いて春に入学してくる子どもたち

 

子どもたちが主役で

子どもたちの育ちのプロセスを担う高校野球

どこかおかしくないか

 

これを個人の問題とせずに

一人一人が自分の胸に手を当てて考えてみるときだ