母たちもショックだった

負けた日の次の日、脱力感から起き上がることが出来ないほどだった

早起きして食事の支度、そしてお弁当

送り出して・・・さーあ応援へ・・・

 

・・・それが途切れた

息子たちの活躍は母たちの生き甲斐でもある

連盟の大会、秋の新人戦、春の市選手権・・・

どの大会でもベスト4以内に勝ち上がっていたので

その期待度も大きかった

「益田にはどげしていくだー」

「どこに泊まるがいいかねー」

「休みも取らんといけんし、地区行事はすべてキャンセルだわー」

などと母たちの話題は県大会のことばかり

 

母たちにとっては野球の内容よりも

勝っているという結果と事実

日々息子たちが

目標に向かって元気にがんばっているということがすべて・・・

 

それでいいのだ・・・

だから純粋に応援できる、支援できるのだ

 

母たちの朝は4時、5時はあたりまえだ

当然、姉妹の支度もあるし、家事全般もある

それでも息子の体調を気づかって

いつもベストを尽くせるように食事の準備

試合の日は弁当、飲み物の用意

投手の母はアイシングの氷の準備なども・・・

 

練習試合の送迎も役員さんを中心にスムーズだった

 

母にとっての息子はやはり特別なのだと私は思う

ちょっと父とはまた違う感情で見ているようだ

それは父が娘を嫁にやるときの特別な感情と同じように
(まだ私は経験が無いので本当はわからないが・・・想像はできる)

母と息子の関係というのも特別な何かがあるように思う

母にとって息子の活躍は、自分そのものなのではないか

息子がヒットでも打とうものなら・・・鬼の首でもとったかのように・・・

息子がエラーして負けてしまうと・・・わが身を削る思いに・・・

それが母なのだと思う

 

そしてわが子でなくても

メンバーの他の子をわが子に置き換えて声援を送る

メンバーみんながわが子のようなものだった

それが母なのだ

 

私自身も中・高・大と野球浸けの学生生活を送ったものだが

今親となってみると

そんなふうに自分も応援されていたのか・・・支援されていたのか・・・と考える

子の親となってはじめて自分の親のありがたみがわかるとはよく言ったものだ

そして、母と息子の関係・・・

息子側から見るとちょっと「キモイ」感じもする

 

ただこうした親子の関係も

野球というスポーツがあって

学校に部活動というものがあって

そこに熱血のすばらしい指導者がおられて

たくさんの選択肢の中から野球を選んでくれて

そして3年間やり遂げた

 

これがちゃらんぽらんないい加減な活動だったらどうだろうか・・・

きちんとした理念と目標・・・

一貫した指導と評価・・・

こうした環境があったからこそ

子も親もまとまった

みんなが自然とあふれ出てくる悔し涙を流すことができたのだ・・・

直後はショックもあったが貴重な涙だ

 

あってあたりまえではないこの環境に感謝しよう

そして3年間成し遂げた息子たちを認めてやろう・・・称えてやろう

それは支援し続けた母たち自身の取り組みを認め合い、称え合うことでもある

 

父はこの息子と母の関係を少しうらやましく思う・・・・

 

                       悔し涙・・・・・完

 

 

(必死につかんだレギュラー番号も後輩へ引き継がれる)