時化ましたねー

隠岐は波浪警報が発令され

隠岐汽船のフェリーなど全便欠航だそうです

 

フェリーが欠航ということは

波高5m以上の大シケということです

 

山陰の海岸は近寄らない方がよいでしょう

 

今週の男女遠征も見合わせました

 

 

さて、高校部活動での体罰問題が大きなニュースになっています

私も体育会系で育ち

子どもたちもそれぞれに部活動に取り組んできましたから

大きな関心を持っています

 

テレビ、ラジオ、ネットなど

各メディアでも著名な方々がさまざまなコメントを寄せておられます

 

いずれにしても私たちの時代のことを言っても

現在には通用しないということ・・・

過去のことを遡って否定するものでもなく・・・

 

ただ、今の時代になっても旧態依然としたやり方が

現代でも評価され賞賛されているというのもおかしなことです

 

勝利至上主義の価値観が生んだ悲劇との見方もあります

 

「体罰」という言葉だけが独り歩きして

十把一絡げで議論されることに対しては

いささか疑問を持っているのは私だけでしょうか

 

引き金となった今回の事件を

報道されている内容が事実としてみたときに

これも「体罰」といえるのか

 

むしろこれは犯罪に近いものであり

いじめや虐待にも該当するのではないか・・・

 

試合中のプレーの失敗自体で体罰を受けることなどありえないわけで

見せしめで体罰を受けようものなら

これは軍隊やYAKUZAの理不尽な見せしめ行為と同等ではないか

このことについては同年代の子を持つ親の立場としても怒りを覚えるものです

 

私たちの高校時代も実際に体罰というものはありました

そこには前述したような見せしめや理不尽なものではなく

人としての道を外しかけていくことに

真剣に接していく過程としてのものでした

 

それよりも数倍も数十倍も怖かったのが先輩の存在でしたねー

定期的に部室に「集合」がかけられましてねー

順番に説教されて

シメはケツバットですよー

 

痛かったですねー

まー・・・当時はこれで根性・・・入ったっていえばそうでしたかねー

 

でもですねー

これが伝統っていうか

慣例って言うか

儀式みたいになっていて

「自分らもやられてきたから、おれらもやらなソン」・・・みたいな

内容が無いんですよ

良くも悪くも・・・「やるもんだ」みたいな・・・

 

私は高校生ながらに問題意識を持っていました

そして私たちが最上級生になったときに

「こんな生産性の無い意味の無いことはやめよう」と提案して

廃止にしたんです

 

中には「やられ損はいやだ」というものもいましたけども

主力メンバーが私の提案に賛同してくれたことで実現しました

 

そして、当時県内では甲子園出場回数がトップクラスの名門でありながら

近年低迷していた成績が徐々に上がってきて

私たちが果たせなかった夢を

2年後輩たちが選抜に選ばれて

久しぶりの甲子園出場を果てくれました

 

このときは我が事のようにうれしく

誇りに思いましたものねー

 

そしてこのチームは甲子園でベスト8まで勝ちあがり

アルプスで歌った校歌は今も忘れませんね

恥ずかしかったですけども

泣きながら歌いましたもん

 

少々話題は自分の思い出話に脱線しましたけども

 

確かにこれからの時代

「体罰」の根絶は必要でしょう

そして大切なのは

何年携わろうが

どんなすばらしい実績を残そうが

指導者も常に学ぶ姿勢を持ち続けていなければならないこと

そして常に時代に即した指導法を模索して

子どもたちに接していかなくてはならないということだと思います

 

また

被害者の遺族感情からか

マスコミを中心に世間は

批判や問題の矛先を

教師や学校、行政や国の制度そのものに向けがちですが 

これでは問題の本当の解決には繋がっていかないのだと思います

 

今や私も同年代の子どもの親の立場としても

親のあり方

家庭教育のあり方にも

言及していかなくてはならないのではないかと思っています

 

あまりにも子どもの教育、育ちについて

他に依存しすぎていないか

 

問題の本質に向かい合おうという親が少ないこと

わが子よければそれでよいという親が多いということ

そしてモンスターペアレントの急増

 

家庭ですべき教育をないがしろにしておいて

その対応を学校や行政に任せておきながら

時には理不尽な要求や過度な要求を投げかける

 

そして一度(ひとたび)何か子どもに起これば

その責任を転嫁する(訴える)

 

批判の矛先を

とりあえずは公に向けておけば

世間的に受けがいいかのような報道のあり方

 

本質は子の最も身近な存在である親

 

そのとき親はどうしていたのか

 

あえて私も同年代の親として問いたい

 

その責任を

もう一度みんなで考えてみていただきたい

どうしてこんなことが起きるのか

 

最後の最後に子どもを信じて守ってやれるのは

親しかいないと

私は常々思っています