強き・良きライバルを持つ事に向上あり
G杯グレ全国
-G杯グレ釣り選手権-
グレ釣りのビッグトーナメント「第18回G杯争奪全日本グレ釣り選手権大会」が12月5日から7日の3日間、長崎県五島列島で開催され私も出場した。この大会に出場するには、昨年開かれた中国地区ブロック予選を勝ち抜いた者、上位6人が選抜された。私は西中国大会(山口県青海島)、中国決勝大会(愛媛県日振島)を共に優勝し、無敗でこの大会に挑んだ。出場権を取ってから1年間も間があるので、なんだか拍子抜けしそうであるが、私が人生で最も大きな目標として掲げているビッグイベントである。
私のG杯グレ出場は今回で5度目。平成6年鹿児島県甑島で開催された第13回大会を初出場に14回、15回、16回を連続出場。昨年は中国予選で敗退していたので不出場となったが、今年再度キップを手にした。これまでの成績は13回:1回戦負け、14回:1回戦負け、15回:3位、シード権で出場した16回から対戦ルールがトーナメントからリーグ戦方式に改正され、決勝リーグにまで駒を進めながら決勝戦に上がれず7位という成績に終わった。今回の私の目標はズバリ優勝、全国制覇である。
36歳の私が最年長者
中国地区ブロックから私以外の出場者はフレッシュな顔ぶれとなった。全員が初出場で6選手中4人が昭和40年代生まれである。13回大会の初出場時には当時30歳の私が中国地区で最年少。毎年私自身が年を重ねるにしても、次も、その次も私が最年少であった。昨年1年休んで出てみるとなんと私が中国地区のなかで最年長者ではないか。これには正直言って驚いた。いかに若い人たちがレベルアップしているかの証であり、これからトーナメントを目指す人への励みになることだろう。
予選準優勝の南康史選手(岡山県)は、今年のG杯チヌ釣り選手権大会で初出場、初優勝の偉業を成し遂げた実力者だ。さらにチヌ・グレ連続出場は並大抵のことではない。
重村昌利選手(山口)は25歳。全出場選手の中でも最年少である。
小森勝男選手(広島県)蓼原信康選手(広島県)高下徳広選手(山口県)いずれも初出場とはいえ激戦区の中国地方を勝ち上がるほどの実力者たち、だれが勝ってもおかしくないのだ。
ライバルとの再会
12月5日午前五島福江空港に到着した。大会日程はこの日の午後すぐに予選リーグ1試合目を対戦することになっている。私はホテルに着くなり直ぐに送っておいたロッドやリールを確認しセットした。次に現地釣具店に予約しておいたエサを確認する。昼食後、直ちに予選リーグの組み合わせ抽選会があり、私はゼッケンNO27番5組を引いた。なんとこの組はがまかつ推薦でテスターの藤原義雄さん(和歌山県)、昨年2連覇し3度このG杯グレを制し目下グレ釣りNO1の呼び声高い片伯部光広さん(大分県)がいる最も激戦組みとなった。私は片伯部さんには特別の感情を持っている。私が38年生まれ、彼は39年早生まれ、学年で言えば同級生となる。彼との出会いは私が2回目の出場となった第14回大会愛媛県中泊。私は初戦で両者釣果なしのジャンケン負けをしたのに対し彼は初出場で決勝まで勝ち上がり、G杯優勝経験者の峯享男さん(大阪府)、松田稔さん(徳島県)を破って華々しく優勝に輝いたのである。このとき表彰台をのぼる片伯部さんを私は唇をかんで見ていた。「彼こそ私の永遠のライバルだ」と、その時一方的に思ったものである。当時、地元へ帰り「片伯部ライバル」と私がいっても笑われるばかり、相手にもされなかったが、予選から勝ち上がり連続出場の原動力になったのは私の心の中にある「ライバル片伯部」の存在であった。今では片思いではなく彼からもライバルだと認めてもらっていることがうれしい。第15回大会で念じて引いたクジが私の思いどおり1回戦で片伯部選手と対戦することになる。この対戦で私は10キロ以上を釣って勝ち、結果的にこの大会3位になった。しかしこのあと彼になにがおこったのだろうか、ライバルは私が追いつく間もなくどんどん大きくなっていく。第16回大会、第17回大会を全勝優勝。無敗伝説をつくりG杯グレ史上初の2連覇を成し遂げ前人未到の3回優勝を成し遂げたのである。
私が彼から認められたのを知ったのは、彼が16回大会に優勝し雑誌のインタビューで、私に敗れ奮起したことが優勝の原動力になったという内容の記事を読んだからである。彼も私をライバルとして認めてくれそれを糧にしてくれていたのである。私の目標もG杯出場から、G杯に出場しライバル片伯部選手を破って優勝するという目標に膨れ上がっていた。そして彼と再会し、また対戦できることがうれしい。
幸先良いスタートを切ったが・・・
予選リーグ初日、私は関西の登選手と対戦し40センチオーバーの尾長グレを1匹仕留め勝利し幸先良いスタートを切った。2日目予選リーグ2回戦はライバル片伯部選手との対戦である。私はうれしくてうれしくてしょうがない。良いポイントでお互いに釣りまくって力の限りを尽くしたいと願う。しかし天候は冬型の気圧配置と発達した低気圧の影響で強風が吹き荒れている。どうやら1級ポイントは無理のようである。船は風裏となるかなり湾内の磯に付けられた。
対戦が始まって撒き餌が効き出すとタカベ、ネンブツ、アジなどの餌取りが多い。開始早々の朝マズメにはお互いグレをかけるが、規定の25センチ以上に満たさずリリースする。私は「最高の対戦なのにどうして」と状況を恨んだりもしたが、これがトーナメントなのである。与えられた条件で最善を尽くすのだと自分に言い聞かせ、伝家の宝刀を抜いた。横風の影響も強くしかも足の速い餌取りがこれほど多くてはセオリーどおりの釣りが通用しない。そこで竹下ウキのマイナスを抜き出してセット。撒き餌を足下に縦長に打って仕掛けを超遠投した。道糸が風に取られるのを逆に利用し張りを作りながら静かに手前に引いてくる。コツコツ。アタリだ。25センチあるかなしかのグレを1匹キープした。後半、場所替わりしてからはお互いにハリがかりするのはタカベばかり。結局この1匹が規定寸法ぎりぎりをクリアーし私の勝ちとなった。
自分に負けて悔し涙
リーグ戦ではこれで2連勝し強敵片伯部選手を破ったのだから「これでいける」と一瞬思った。しかしこれが気のゆるみなのか。このあと3戦を次々と全敗し、目標の優勝どころか予選リーグを2勝3敗の成績で敗退した。
気合いが入っていなかったわけではないが、一瞬の心のスキがあったのだろうか。他のの選手を甘く見ているようなおごりがあったのか。仕事の忙しさにかこつけて練習不足も否めない。良型のグレをかけながら一瞬の判断ミスと動作の遅れからバラシの場面も何度かあった。潮や風の読み違い。焦り。自分の釣りが出来ていない。自分に負けたのか。悔しい。
そして今回の大会で感じたことは地域間のレベルの差がなくなったこと。グレ釣りに関しては西高東低の傾向が強かったが、その差は年々縮まり今では全く感じられなくなった。また、若手の台頭がある。今回優勝した九州の平林選手は31歳の新鋭であり、出場選手最年少の重村選手は、中国地区代表選手では唯一、決勝リーグに駒を進め8位に入賞した。
私は来年の出場権は今年の予選で敗退しているのでもうない。今度は再来年の20回大会を目指して一からのスタートが始まろうとしている。ライバルは各大会に出場する度にどんどん増えていくわけであるが、もしかしたら自分自身が最大のライバルであり、自分に打ち勝つことが課題なのかもしれない。仕事、家庭、地域の中で趣味の釣りの世界を一歩踏み出してどれだけ真剣に熱く取り組めるだろうか。G杯制覇の夢は限りなくつづく