小島一文の
“G1フィッシング”

G1フィッシング

自然に感謝し、自然に溶け込む。

隠岐島前のチヌ釣り ~ 西の島無名磯でチヌGET ~

 4月11日、12日の日程で今年初めて隠岐島前に釣行した。もちろん狙いはチヌである。私が釣行する前週、前々週とクラブのメンバーたちが先陣をきって釣行し、50センチ級のチヌや60センチ級のマダイを釣り上げてきた。
 特に今年はマダイが好調のようで、チヌ狙いの仕掛けに大ダイらしきアタリが連発し、何回もバラシたというのだ。こんな情報が入ったなら、もういてもたってもいられないのが私の性分である。

道糸が150メートル引きずり出された

 1日目は、中ノ島の「ようのき」に釣友たち3人で渡礁した。48センチを頭にチヌを合計5枚釣って、みんなが久しぶりに隠岐のチヌの引きを楽しんだ。そして情報通りに大ダイのアタリがあったのは、昼過ぎに「ようのき」の北側対岸の「シダガ崎」に磯替わりしていた釣友にだ。まずは、150m巻いた道糸をアッという間にすべて引きずり出されて揚げ句の果てにはハリス切れでバラシたという。今度は夕マヅメに来たアタリを何とか取り込んで、それが64センチのマダイだった。この日は「ようのき」では強烈なアタリはなかった。

西ノ島へ偵察

 2日目は、まだ情報の少ない西ノ島へ情報収集に向かった。場所は別府港から南へ下ったダラダラとした海岸線で、ゴロタ石の海岸にボコッと岩が突き出ている無名磯である。以前にも1回渡礁してチヌを釣った実績がある場所だ。
 朝マヅメに釣友が40センチのマダイを取り込んだが、次第に南風が強くなってきたため釣り座をさらに南側に位置する出っぱりへ歩いて移動することにした。ここは小さなワンドになっているので風を斜め背にして、このワンドに仕掛けを流すことができる。結果、広い範囲を探り、マキエと仕掛けをうまく同調させて51センチのチヌを釣り上げることができた。

自然条件を見方に

 内海の海岸線はダラダラとした中にも所々に出っぱりやワンドがあるので、状況によってはどんどん移動して自然の風、自然の土地など自然条件を利用することも釣果を上げるコツである。

仕掛けを1度投げて2度も3度もおいしいマキエを打つ

 このときの状況は、図のように風と潮が同じ方向に流れていた。こんな状況は、どうしても道糸がフケてしまい、ウキよりもツケエを先行させようと思えば思うほど手前に戻されてマキエから離れてしまう。こんなときはなるべく仕掛けを沖に遠投して扇状に流すイメージを描く。マキエは自分の仕掛けがなじむラインに想定して打つのだが、風の強さ、潮の速さ、自分のマキエの比重などを頭の中でイメージしながら打つ位置を決める。注意しておかなければならないのは、道糸に引っ張られるツケエとフリーで流れるマキエは当然流れ方が違うことである。
 次に、ヒットラインを一本だけイメージしていてはいけない。もう1本も、2本もヒットラインを作っておくのである。こうした釣りイメージがあってこそ、この場所へ移動した価値が出てくるのである。風下や潮下にこういったワンドがあれば、ヒットラインをたくさん設定して広範囲を攻めることが出来る。それだけヒットチャンスが多いということだ。また、同じ仕掛けで水深の違うポイントを攻めるには、5月号で紹介した「ハリス修正」の応用を利用するとうまく流せるだろう。

磯釣りの魅力は何か

 よく釣り人は、釣れなかった理由をその場所や自然条件のせいにする。私も以前はそうだった。しかし磯釣りの魅力は、こうした限られた場所、限られた条件の中でいかにして自分の釣りイメージを展開し、創意工夫して釣りこなしていくかにおもしろみがあるものだ。この魅力を自ら放棄してはいないだろうか。自分に合った自然条件を選ぶのでなく、自然条件に自分を合わせようとする努力が大切である。

釣りは生活の一部

 それにしても隠岐島前への釣行は久しぶりだった。釣り手帳を調べてみると昨年の6月に「星神島」でタイ釣りをして以来である。
 私は隠岐でも特に島前の内海に面した水道筋が大好きである。もちろん魚もよく釣れるからであるが、ここの自然環境がすばらしいのである。穏やかな海面、深緑に映える木々、ウグイスやキジのさえずりが、ストレス社会を生きる私たちを現実から少し切り離して優しく包み込んでくれるのである。
 連日のテレビや新聞報道などでは悲惨な事件が後を絶たず、荒んだ現実社会を浮き彫りにしている。物が豊かになった反面、心の豊かさが欠如し余裕のない生活を送っている私たちがそこにいるのである。そんなとき、私は思うのである。釣りをしていて本当に良かったと・・・。釣りという趣味に出会えたことを本当に感謝するのである。 釣りは、こうした物の豊かさにマヒした自分の価値観や心を人間らしい価値観に戻し、少年のような心を取り戻してくれるのである。釣りは私にとって、もう、生活の一部になっているのである。

釣りや物事に対する価値観・・・

 ところで、全国的に見ても比較的自然が残っている島根に住んでいる私たちは幸せである。すぐ近くにこうして人の心をいやしてくれるフィールドがあるからだ。しかしこの自然環境も当たり前だと思っていては今に大変なことになる。
 久しぶりに隠岐釣行して残念に思ったことがある。釣り人のマナーが悪いというのは今になって特に取りざたされたわけではないが、5年前までは、隠岐島前の中ノ島や西ノ島の水道筋の磯には、全く人があがった形跡もなく自然そのものだった。それがどうだろう磯には空き缶や弁当のかす、配合エサの空き袋や糸くずなどが無数に捨てられていた。私はすごく悲しく情けない気持ちになり、どんどん釣り場を開拓して釣り場を紹介した自分にも責任があるのではないかと何ともやりきれない気持ちになった。
 釣り人は自然の魚を釣って持ち帰るだけでも何らかの形で自然を犯しているのであるから、ましてや自分が持ってきた人工物を捨てて帰るなどは釣りをする資格がないといってもよい。このことはどうか肝に命じてほしい。
 釣った魚は鮮度よく丁寧に持ち帰って、おいしく食べてやるのはかまわない。釣る楽しみ、食べる楽しみが日本の釣りの文化だと私は思うのだ。ただし、その楽しみのために自然に踏み込んだのなら、その形跡を残さずに立ち去るくらいの優しさと配慮がほしい。自分を楽しませてくれた自然に、そして魚に感謝しよう。自然環境を守るのは、私たち自然に関わりがある者がリーダーとなって模範を示さなければならない。
 それが、自然環境に自分を合わせ、自然を身方にして釣果を上げることにつながるのである。釣りを釣りの中だけで考えるのではなく、もっと大きなものの中に考え、結果重視の釣りではなくそこへいくまでのプロセスや自分のおかれた環境に価値をおき感謝をし、自分独自のG1(グレード・ワン)フィッシングを実践しよう。

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