小島一文の
“G1フィッシング”

G1フィッシング

トーナメントに挑む!

トーナメントについて…峯、竹下両氏との出会い。

 秋のグレ釣りシーズンになると、あっちにこっちに飛び回って忙しくなるのがここ数年のパターンである。グレ釣りシーズンにあわせてグレのトーナメント大会が各地で開催されるからである。私が釣りの競技大会に出場し始めたのは平成元年のG杯チヌ中国大会からであるが、最近のトーナメントブームで参加人数の増加もさることながら「がまかつ」だけではなく各メーカ主催のトーナメントが目白押しである。参加資格は大会規定などで規制はあるくが二十歳代の若者から還暦を迎える方まで幅広い。最近は女性の姿も見かけるようになった。
 私が主に出場しているのはG杯((株)がまかつ主催)チヌ、グレである。この大会は全国各ブロックで予選大会が開催され、このブロックで上位入賞した者が全国大会に出場する資格を得るというシステムになっている。ここ山陰地方は中国ブロックに出場することになる。

 私がトーナメントに出場するきっかけになったのは、G杯グレ全国優勝の経歴を持つ関西の峯享男氏(大阪府吹田市)大田市の竹下努氏との出会いからである。これと言った誘いの言葉はなかったような気がするが、師匠が出場する大会に自分も出場して、何とか全国大会の舞台で挑戦してみたいと自らが決意して出場し始めた。このころは山陰両県からの出場者は全体の一割にも満たない人数で、しかも私が所属する釣りクラブからの出場者がほとんどであった。しかし最近では少しずつではあるが山陰、特に島根県からの出場者が多くなってきた。これは本当に喜ばしいことである。トーナメントが釣りのすべてであるとは言わないまでも、出場することで各地の釣り場で釣りをしたり、各地の釣り師と交流したりすることは、釣りの幅を広げ普段の釣りにも活かされることは間違いないのである。釣るだけの結果中心の釣りから釣るまでのプロセスを楽しむという釣りに対する価値観も違ってくるはずである。

 さて、トーナメントに出場するにはどうやったらよいのだろう。最近は各釣り雑誌にその日程や出場規定などを詳しく掲載しているので、関心のある人は注意して見ていればよい。主催メーカーによっては、使用タックルなどを自社製品に限定しているものもあるがほとんどの大会は二十歳以上の成人であれば誰でも参加できる。しかしブームによって参加者が増えてきたため、人数制限しなければならない場合が多く、先着もしくは抽選になる場合もある。地区予選の出場資格を得る段階から運を試されるのである。

 私が出場しているG杯はどうやったら出場できるのだろう。まずはがまかつ加盟店に問い合わせてみることから始まる。大会約一ヶ月前からメーカーの募集が始まるので加盟店を通じて申込用紙によりエントリーする。大会の日程は同メーカーが発行する季刊誌や釣り雑誌を見て事前に知っておくことである。なぜなら山陰地方の小売店は参加する者が少なく、それほどまでに関心がないので顧客側から積極的に問い合わせないと申込期限に遅れたり、希望する日程や会場にエントリーできなくなる場合があるので注意したい。中国ブロックもここ数年参加者が増えたことから、東、西に分けたり、日程を増やすなどしてなるべくエントリーしたすべての人が出場できるように配慮している。だが全国行きの切符が増えたわけではないので狭き門であることには変わりない。

 このように意外と簡単に誰でも出場することが出来る競技大会であるが、なぜ今までは山陰地方から参加する人が少なかったのだろう。一つは会場となる場所が他県であり出場するのに経費と時間がかかることである。同じ経費と時間を費やすなら、隠岐にでも行って大物を釣った方がいいという人も多いと思う。それはそれでよしとして、どうも気になるのが私が誘った何人かのひとが断る理由である。「やー、私などはまだ釣りを始めたばかりで・・・」とか「まだ大会に出るまでのレベルじゃーなくって」といった理由がほとんどであった。それじゃあこの人はいったいいつになったら出場するのだろうか。トーナメント自体を自分だけの固定観念で判断しているとしか思えないのである。確かに競技大会というのは釣りのレベルが高い。それだけではなく精神的なものや運やすべての要件が備わっていなければ上位入賞することが出来ない。だからこそ普段の釣りを抜け出して、競技大会に出場してみよう。まずは出場してみなければ何も解らないのである。雑誌などで見たり読んだり、人伝いに聞いた話ではだめなのである。まずは出場してみることが第一歩なのである。いや、まずは出場してみようというその気持ちが、その人がトーナメントに関して持っている素質なのであって、取り組み次第では全国出場、全国制覇も夢ではないと思うのである。

 実際にトーナメントに出場してみると、今の自分の釣りレベルがどのくらいかがよく分かる。私も最初に出場した瀬戸内海、芸予諸島のG杯チヌ予選はボウズであった。そこでは3メートルを越す干満の差と川のごとく流れる激流の潮になすすべが無くぼう然となったものである。その年の秋、今度は山口県青海島にG杯グレ予選に出場した。この時は、釣ったグレの20匹の総重量で順位を決めるルールであったような気がするが、ほとんどの選手が20匹をそろえてくるなか、なんと私は4匹しか釣れなかった。型は小さいが魚影の濃いところでは有数の青海島での自分の結果にショックを受けたものである。

 「井の中の蛙」とはまさに私のことであった。行き慣れた場所で、釣った釣ったと人に自慢していい気になっていた自分が恥ずかしいと思ったものである。そして他県の出場選手が魚を釣るために、また、競技に勝つために様々な研究を積み重ねて取り組んでいるのに驚いた。「目から鱗が落ちる」とはこのことである。このときから私の釣りに対する考え方や価値観、取り組みが180度変わってきたことは言うまでもない。また、この時からである。トーナメントの魅力にとりつかれて釣りが生活の一部と化していったのである。

 生活の一部といっても私のようなサラリーマンが毎日釣りに行けるわけではない。全国には釣りにのめり込んで、仕事を辞めたり転職したりする人もいると聞く。また家庭までも捨てて釣りの世界に身を投じている人もいる。そんな生活をうらやましく思うこともあるが、現実にはそうは行かない。私にとって釣りは、所詮趣味の世界であって決してそれを超えることはない。

 だが、釣りに対する情熱や釣りで日本一になる夢を捨てたわけではない。自分なりに工夫して真剣に取り組めば両立できると信じている。その取り組みを一つあげるなら、イメージフィッシングである。イメージの世界で毎日釣りに行くのである。これが私の言う釣りを生活の一部にすると言うことである。このイメージフィッシングはいつでもどこでも出来ることにメリットがある。通勤の車の中などが最適だ。私もつい最近まで片道30分~40分かけて職場に通勤していたのであるが、この時間がイメージフィッシングに最適で、誰にもじゃまされずに集中できる。また、車の渋滞や信号待ちなどがまったく苦にならない快適な時間となるのである。今年の4月に引っ越しをして、職場までの時間が車で数分になったので最近はいいイメージが出来なくて困っている。

 一口にイメージフィッシングといってもイメージとは空想の世界であるから限りなく幅広い。良いイメージを描くにはやはり良い材料が必要になる。良い材料とは経験である。良い経験を得るには一回一回の釣行を大切にすることである。卵が先か鶏が先かと同じで、イメージが先か釣行が先かという問題になるが、良い釣行が良いイメージを生み、良いイメージが良い釣行(釣果)につながるはずである。その繰り返しの積み重ねが私の今までの結果と実績になっているのだと思う。そしてこのことは行き着くところはなく限りなく奥深いものであり、私は一生涯釣りをイメージし続けるのであろう。よく人に「釣りのどこがそんなに楽しいの」と釣りの魅力について訪ねられることがあるが、私は「釣りはいつも少年のような心を忘れさせないところ」と答える。
 今までいろんなことをしてきたが釣りほど何回行ってもどんなに大物を大漁しても、また、全然釣れなくても釣行の前の日の夜は、子供の頃遠足に行く前の晩にドキドキして眠れなかった少年の頃と同じ気持ちになれるのである。

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